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作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

LIFETIME&LIVING、GRAPEVINE?「青い魚」

 私が統合失調症を起こしたのは高校一年生の頃だが、この時代は実によく音楽を聴いていた。それへと逃避していた、と言って良いかも知れない。しかも聴き方が同年代の周囲とは全く違い、当時に流行っていたビジュアル系だとか、ジャニーズと言ったものに自分は全く興味を示さなかった。

 歌詞が難解と言われる、バンドサウンドを好んでいたのだ。

1.


 難解、と言われても具体的な想像は難しいと思う。例を挙げるならば、当時の私が書いた文章に、この曲ばかりを延々に再生している、と言う記録があった。

「青い魚」GRAPEVINE
作詞・作曲:金延幸子

(歌詞一部抜粋)
青い海も 青い魚も
みんな昔 手にしたもの
今 私のこの手のひらの中を
冷たい風だけが
通り抜けてゆく

 私はバンドサウンドの機材や用語については余り知らない為、このエフェクトがどうで、リズムが何ビートで、こう言う偉い人が関わっていて、と言う事は分からない。その為、逆に曲を聴いて心に突き刺さるものがあったのかと思う。

 

2.

 海と魚。私は確かに発症するまで、社会と言う名の海を泳ぐ魚、としての権限を与えられていた。しかし、それらは自分の中で病気を無意識に感知したのだろう、「みんな昔」手にしたもの、と変わってしまった様だ。更に、そう言った自分には、「冷たい風だけが通り抜けてゆく」。
 辛かった。
 高校に居場所が無く、実家でも言葉の暴力に遭い続ける。それでも好成績を維持し、どうにか「普通以上の家」の「優等生」を演じていた、最後期だった。これ以降、私は成績が急落し、保健室登校から不登校、登校拒否状態に陥り、自室に籠る様になる。精神科に通い出すと、今度は弟が薬の副作用で身体の震える私を見て、「気持ち悪いから近付かないでくれ」と回避を始めた。
 何がいけないのか分からないまま、私はひたすらに音楽を聴いていたのだ。

 

3.

 「青い魚」は、原曲をつい最近になって聴いたのだが、GRAPEVINEの音と同じく、何処にも遣る瀬の無い、気怠さだったり憂鬱だったり、が漂っている。これは殊更にも病人へ好かれるかも知れない、と言うのが私の感想だ。私もこの曲の雰囲気をフィルタとして、世界を見ていたし、見ているから。
 普段の、接客を行う自分の姿を見ている人は信じないのだが、私はプライベートで他人付き合いを一切に拒む性格の為、何に対しても内心はこう思う。
「面倒臭い。もう嫌だ。逃げてしまいたい」
 接客は仕事、と言うよりも、自分のスキルアップの手段と割り切っている。その裏では周囲への不信や憤怒が立ち込めているのだ。実際に今日も、作業所の女性パート職員に無視される始末。
「Aさん、失礼します」
「お疲れ様です」
 私の挨拶に対し、全く持って彼女は反応を示さない。目を合わせなかったり、他所を見て煙草を吸ったり。所謂、無視なのだ。余りにこれが過剰ならば、意見箱に私の実名とAさんの実名を書き、投書しようと思う位に、胸糞が悪い。一層の事、殺してやろうかと思うのが、私の行き過ぎる病的部分なのだろうけれども、それだけ彼女の顔を見ると吐気がする。こいつは障害者を相手に支援する気があるのかよ、自分の言いたい事をヒステリックに言い放って当方の発言は無視ですか。
 他の通所員にも、彼女の評判は実を言うと、良くない。好きだ、と言う意見を全く聞いた事が無いのだ。
 私はこう言う人間こそ、差別されて然るべき存在だと、今は、見返す事が出来る。

 

4.

 Aさんの話を出した理由は、もしかすると私の内心を彼女が見透かしているのでは、と言う思いがあるからだ。
 私は接客の場で、笑顔を「浮かべて」親切に「振舞って」いる。その裏では、毎日がつまらなくて堪りませんよ、と言う発言を覗かせたり、目が死んでいる、と言われたりする事もあるのだ。そこを彼女は、皆に避けられながらも見ているのでは無いか。避けられると、周りに敏感になるのは、自分も経験した事のある感覚だから、そう思った。
 しかし、だからと言って、Aさんに同情する気持ちを私は持たない。彼女とシフトが重ならない日は、内心でとても喜んでいる。今日は無視されずに済むのだな、と。仕事だから我慢して、彼女にも笑顔と愛想を尽かさず、挨拶も欠かさないものの、そう言った私を彼女は途轍もなく不審している、と感じる日々。
 私は常時が、演技と損得勘定に塗れている。こう言ったらこう言う反応が来て、自分にプラスとなる、だから行う。以上の演算速度が物凄く高いのだ。実際に、Aさんか作業所の関係者がこのブログを読み、私の思いに気が付くなり、傷付くなりすれば良い、と思っている部分がある。だからこうして書くのだ。
 海から引き上げられた自分の手のひらには、何も残らない。
 冷たい風だけが通り抜けて、乾かしていく。


5.

 GRAPEVINEの話を少し、出そうと思う。
 ボーカルの田中和将は、私とは境遇が違うものの、同じく幼少から成育するに当たって捻じれ切った家族関係を抜けて来た、と言う。そう言った人の心は、基本的に満たされない。実際に1999年頃、アルバム「LIFETIME」に関するインタビューでも、彼はこう述べている。
「自分は何をしているのだろう。音楽を演っているのに満たされない」
 私はやりたい事、つまり文章を書いて発表する場を最近になって与えられたのだが、この心情がよく分かる。どう言った本を読んでも答は出なかったし、どの様な内容を書こうとしても不満は尽きない。それを表現欲求だとか言う人は居るかもしれないけれども、苦しいのだ。
 そう言えば、読売新聞の人生相談にて、少し前にこう言った記述を目にした。
「作家になりたいと思う人の大抵は家庭環境が良く無い」
 文章自体は多少、論が飛躍しているのだが、自分なりに解釈するとこう言う事だと思う。
 作家とは、基本的に報われない。職業として達成される可能性も僅かだ。更に今は、文章が金銭に繋がり易いとは言えない時代。幾らに書いても、日の目を見なければその作品は意味を持たず、本人の自己満足で終わってしまう。
 それでもこの職業を願い、書き続ける人が居る。その原動力を考えた時に、怒りを文章に変換している姿が見える様な気がして、私は仕方が無いのだ。少なくとも、自分はそうだから。
 田中和将も、もしかしたら文章が音楽に変わっただけで、心情は同じだったのでは無いだろうか。


6.

 「青い魚」は金延幸子の曲のカバーなのだが、歌詞の最後はこう終わる。

止まって 止まって
止まってしまった

 過去の私も現在の私も金延も田中も、同じ空虚を持っていたのかも知れない。
 それがいつか、完全に停止したらどれだけ良い事だろう。

GRAPEVINE 2nd ALBUM "LIFETIME" (PONY CANYON,1999/5/19)

お題「好きなバンド」