SPARKILLING

作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

SCOOBIE DOと障害者のPLUS ONE MORE

 2017年7月8日、私は福岡LIV LABOと言う場所に行った。SCOOBIE DOと言う音楽バンドのトークイベントを、観覧する為に。

 私にとって、生の彼等を目視するのは、13年振りの事だった。

1

 電気痙攣療法を受け、それまでの記憶が消え、果ては精神科閉鎖病棟へと監護される状態、つまりは人生の底を這っていた高校中退当時の私。やっと退院を出来たと思ったら、その直後に弟が前出の高校へと入学し、私は間も無く別の病院の精神科病棟へと閉じ込められてしまう。
 それらの理由は全て、医療側から見た、私に対する「自殺企図への強い懸念」だった。
 自分はその年の半分を、病棟内で過ごす事となる。
 裏では、統合失調症と診断を受けていた私。現実と自己の接点が分からない、見えない、取られない状態。更に近年では発達障害とも言われ、もう何が何なのか分からない。
 しかし確実に言えるのは、自分は人生の半分以上を生き地獄で過ごしている、と言う実感だ。


2

 私がSCOOBIE DOを知ったのは、高校を中退する前、不登校の生活で当ても無くラジオを流している最中だった。「聴いている」のでは無く、「流している」状態、つまり私は音声にすらも関心が持てない位に沈んでいたのだ。元から音楽が好きだったのに、CDはベッドの脇に積み上げられて崩れ掛け、MDは自棄を起こして幾枚も自分で投げ壊した。その感情の起伏へと誰も手を付けられず、食事も碌に摂られないまま、私は死へと向かっていく。
 その中で、一曲だけ、「違う」と感じた音を、ラジオで聴いた。

 

あこがれに 手を振ろうぜ
二番目は もうやめた
あこがれに 手を振ろうぜ
この瞬間を つなげようぜ

 

  演奏は力強く跳ね、歌声も熱が籠っている。反して、歌詞は沈殿を極める自分へと叫び掛けて来た。
 私は栄養失調と精神科で処方された薬で震える手を動かし、その放送を録音する。

 

どうしてこれまでに元気があるのだろう。
なのに何故、これまでに切実なのか。

 

 痺れる頭でスクービードゥーと言うバンド名を捉えながら、私は布団の中で泣いた。
 暫くして、私は自殺未遂を起こす。


3

 記憶が消え、言語を解するのがやっと、という状態に陥った自分。辛いのか悲しいのか虚しいのか、その全部が自らの感情なのかも分からず、差し入れられた音楽雑誌を眺めた、毎日。
 中に、「2000年代の名曲」と言った見出しの付く冊子があった。それを開いて、私はある箇所に目を見張らされる。

 

スクービードゥー「最終列車」(アルバム「BREAK ROCK」より)

 

 大きい扱いでは無かったものの、ソングライターのマツキタイジロウ氏が素晴らしい逸材で、メジャーデビューしたばかりのこのバンドは飛躍していくだろう、との旨が書き添えられていた。
 私は既に当時から関係の悪かった親へと、このバンドのこのアルバムを買ってくれ、と懇願する。持って来られたそれには、以前に震える手で録音していた曲、「GET UP」も収録されていた。
 病床で繰り返し繰り返し、曲を聴く。
 何かに助けを求めて居た私は、そうする事しか出来なかった。


4

 時間は経過し、私は退院した後、大検を受けて地元の私立大学へと入学する。
 元々は国立大学の薬学部を志望していた自分にとって、それは嬉しくも何とも無く、「大検に合格しても上級学校を卒業しなければ中卒の扱い」と言う現実だけが圧し掛かっていた。
 遊ぶ時間は殆ど作らず、「中卒」「卒業」の強迫観念と闘う大学生時代。余計に体調が悪化すると言うのに、私にはこう言った方法なり、生き方しか出来ず仕舞いなのだ。
 SCOOBIE DOのライブを観たのは、その時だった。会場はビブレホールと言う、ビルの最上階にある小さな場所。
 人間不信と嫌悪、恐怖が頂点に達していた私は、普段の通学すらも負担に感じていた。けれども限り無く高いハードルを飛び越える気持ちで、私はライブに参加する。
 病棟で永遠と言っても相応しい程に聴いた、彼等の曲。
 私は涙を流しながら、大声で歌った。


5

 大学は卒業したものの、私は一切に就職が出来ず、実家へとひきこもる。再び外界との接触が恐ろしくなり、遂にはパソコンや携帯電話でインターネットへと接触する事も出来なくなった。
 当然に、情報は自分へと入り込む事が無く、私は閉鎖された毎日に潰れて行く。

 

明日は何をすれば良いのか。
あの音楽を聴いて遣り過ごそう。
そうして何とか、生きられたら。

 

 もがき続ける中、一番に聴いていたのは、SCOOBIE DOの曲だった。

 

 一昨年、私はひきこもる自分と、精神的に遣り切れない家族関係を断ち切る為に、精神科病院へと入院を決める。そこの医師も、私の置かれた状況は異常だと判断したらしく、退院後は直接に病院の近隣へと独居する手配が進められた。
 アパートへ引っ越した私は、安い言葉だけれども、「元気」を手に入れる。
 その時、死のうとする前に思いを巡らせた歌詞に、新しい景色が見えた。

 

元気があっても切実なのは、何かに絡まっているからではないか。

 

 あくまでこれは私個人の見解なので、本人達が「違う」と言えばそれまでなのだが、自分にはそう見えたのだった。


6

 

 障害者手帳も所持する現在の私は、とても多いとは言えない収入の中で、彼等のCDを揃えて行く。
 いつも彼等は、私へとこう語り掛ける。

 

「腹を括って生きて行こう」
「けれども、自信だけは失ってはならない」

 

 統合失調症寛解、つまりほぼ完治させたものの、発達障害は一生に亘って治らないと言う。生きるならば私は、この事実を背負って行かなければならない。
 見ている世界は、相も変わらず地獄だ。
 そこでどう、自信を持って腹を括りながら、生きるのか。


7

 冒頭へと話が戻る。
 トークイベントの翌日はライブが予定されていたが、私は体調の関係で参加を見送った。せめてもの思いで、イベント会場へチケットの購入を申し込み、参加し、SCOOBIE DOの4人を13年ぶりに見る。
 泣くかと思ったが、私は泣かなかった。
 イベントの最後に、メンバーの一人へとこう伝えて、私は最敬礼をする。

 

私は高校を中退してとても辛い時にライブへ行きました
スクービーの音楽に凄く力を貰えました
本当にありがとうございました

 

 そのメンバーは、「また来てね」と私の手を握った。
 私はそこで、やっと涙が浮かんだ。

 

8

 今の自分は、奇しくもイベントと同じタイミングにて、フリーライターとして動き始めている。自分の感じる生き辛さを世へと送り、広める役割を担う。この文章を綴っている後ろでは、やはり、SCOOBIE DOの音楽が鳴っている。

 

“You can get funky” mellow” fellows, we are SCOOBIE DO!”

 

 彼等のよく発する言葉を訳すと、こうなる。

「君は元気で陽気な仲間を手に入れられる、それは俺達スクービードゥーだ!」

 

 私はいつまでも、彼等のもう一つの合言葉、”PLUS ONE MORE”、「もう一人の仲間」で居たい。