SPARKILLING

作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

“rapture”

1

 生まれた時から私は自分が詰まらない人間だと自覚をしていた筈だったが、今日は酷く非力だとも分かった。
 優しさなど嘘だ。愛情など有り得ない。それを分かっているつもりの自分が何かを助けるとか、慰めるなど到底に無理だったのだ。けれどもそれに挑み、見事に無為へと終わってしまった。
 人間は皆、自分に困っている側面があると思う。もし「私は誰かの為に生きています」と言う存在が居るとしたら、それは完全なる偽善だろう。
 私にもそれが、何処かにあったのだとも、今頃になって自覚した。

2

 近頃の自分の私生活はと言うと、「死にたい」「消えたい」と言い続け、ネットではそれらの単語、と言って良いのかどうか分からない、寧ろ台詞とか叫びみたいなものをひたすらに検索していた。
 出て来るのは、「死んではいけません」「死ぬと言う選択肢もありますが、止めた方が良いですよ」と言う記事ばかり。
 見ていると、頭が痛くなり、吐気がする。
 同じ思いを持っている筈の人は居ると思うから、「にも」と書くが、どうしてこの世界や人間を肯定するのか、私にも分からないのだ。反面で、何かに助けて貰おうと言う幻想を持つから、私は上記の検索を行っていたのだと思う。そして同様の思いで、他者とも繋がりを求めていたのかも知れない。これは完全に矛盾した構図だ。
 今日、馬鹿が確定した自分にも確実に理解が出来たのは、「自分は自分の事を考えて生きる」べき事だった。
 中途半端に他人へと優しさや情けを掛けてはならない。自身もそれで、悲惨な位に傷付いているのに、見様見真似で同様を行動してしまった。

 

3


 これは私が普段から書いている「障害」とか「病気」と言う括りには留まらないと思う。自分を含め、誰かが酷く傷つくのは、何かに必ず原因があるのだ。その原因へと、自分の「死にたい」「消えたい」と言う発言が含まれていたのだろうと思うと、今度は物凄い罪悪感が来る。
 それらの言葉は、私の本心から出ており、止められも出来ない結果だった。だから発言に関して自分を責めはしない。
 けれども、自分の感情と周囲の反応は必ずしも対応しないのだ。苦しみは伝染したり、嫌悪を引き起こしたり、悲しみを生むことを分かっていなければいけない。理解した上で、自分は上の発言をするべきだった。


4

 

 今も強烈に頭が痛む。吐気もする。
 それは後の祭りと言うもので、自分の負うべき現実だ。
 私には、気軽に連絡を取られる相手が居ない。それは私がいけないのか、別の何かがいけないのかを考えても、もう手遅れだ。
 自分は誰かを助けたり、慰めたりする為にこの文章を書いている訳では無い。このブログは元々、そう言う目的を持っていない事は、読者の方に理解して頂きたいと思う。私は「自分の言いたい事を世に問う」為だけに、書いている。
 自分はどうしようも無く、詰まらなく、非力だ。
 詰まらなさは性質の為にどうしようも無いとしても、これからは非力を如何に処理するかだけ、生きる上で自分に求めたい。

 

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