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作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

「ブレードランナー」から見る「障害者」と「現実」の関係

ブレードランナー」概要

 賞金稼ぎとして、地球上に存在するアンドロイドを「駆逐」し、生活を立てる主人公リック。しかし彼もいつしか自らがアンドロイドでは無いかと言う疑念に駆られ、自己を人間か否かと判断するテストに掛ける―

 

 映画「ブレードランナー」をご存知の方は多い。この作品が脚光を浴びたのは、近未来的な映像が人々へと衝撃を与えたからだと言う。けれども私個人は、そう言ったものに余り関心が無い。ならばどうして話の内容を知っているのかと思われそうだが、原作の小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んでいる為だ。
 今回は、作中のアンドロイドと主人公リックの関係について書きたい。

 

自動録音機は人間か?


 アンドロイドとは、人間の姿恰好を呈した機械動物の事だ。私は以前に医師からこう回想された事がある。
「初めて診察を行った時に、”女性の自動録音機が喋っている“感じを受けた」
 この自動録音機とは、紛れも無く過去の私自身の事だ。当時の自分は生きる意欲も未来への希望も他者との交流も失っており、つまりは「現実」とどう接して良いかが分からなくなっていた。自分と実世界とが分離していたのだ。
 分かる人は居るだろう。これは統合失調症の根本的症状だと言う事を。私は患者そのものだと、医師に初見で感じさせていた、となる。

 

レギュラー、スペシャリスト、アンドロイド

 

 女性の自動録音機は、機械だ。これは機械動物のアンドロイドと繋がる。つまり「ブレードランナー」の主人公リックが追っていたものは、感情を持たずに存在のみを果たす統合失調症患者だった、と言う喩えが成り立つ。そしてリック自身ですら、自らの人間性を疑い、テストを行う。これは「自分は健常だ」と思う者ですら、いつか自身も患者となるのでは、と考える姿の裏返し、としても捉えられる。
 人間は常に、何かの患者となる恐怖を孕んでいるのかも知れない。

 

それぞれの階層


 ところで作中では「健常」者を「適格者(レギュラー=普通)」、「障害」者を「特殊者(スペシャリスト=異常)」と呼んでいる。適格者は人類としての尊厳を認められ、特殊者はアンドロイドと適格者の中間的な扱いをされる人間だ。もし精神疾患的側面からこの関係を捉えた場合、

  • 適格者=健常者=リック
  • 特殊者=障害者
  • アンドロイド=重度障害者=リックの駆逐するもの

と分けられる。自動録音機だった過去の私は正しく、重度障害者だったのだ。今でこそ特殊者へと変わって来たかと感じるものの、作中の設定と同じく、現実世界でも「特殊者=障害者」は「適格者=健常者」とは成り得ない。
 この事実が自分にとって、大変に受け入れ難く、辛いのだ。

 

統合失調症者だから、と言えど

 

 実は彼もまた、統合失調症だったと言う原作者のフィリップ・K・ディックはこう語っている。
「“親切さ”を持っていれば、その存在は生物である」
 自分を責めてまでに無理を夢見るよりも、自己が他者へどう接するべきか。私はそれが大切だと思った。自分が「特殊者」へと変わったのは、現実との接点や他者への感情を取り戻した事が契機だったのだ。
 
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
=「重度障害者は機械へと変わる究極の夢想を行うか?」

 

(追記)

 この文章を、私を自動録音機に喩えた医師に見せた。彼は、「健常者と障害者の垣根は曖昧だと思う」と感想を語ったが、私はそれに反論する。ならば障害者福祉制度や、そもそも「障害」と言う概念は要らない。結局は、人間が人間の多様性を認めていないだけの問題では無いだろうか。
 その中で悩み続ける自分は何なのだ。

お題「好きな作家」