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作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

「キルケゴールを発達障害者が論破する」精神科病棟収容日誌(6)

収容第5日 2017/6/4

 

1

 

 「大和柚希殿」と名札がある体調管理シートの横の壁には、六枚の折り紙が壁紙の代わりに貼られている。その材質は紙なので、中身が透けて見えるのだけれども、どうやら壁は破損されているらしい。見たところでは何かをぶつけたり汚したりする様な位置ではない為、これは誰かが故意に壁を破損した痕跡だと考えられる。精神科病棟ではよくある事だ。

2

 

 さて、昨日の診察医と話した内容をもう少し掘り下げて書こうと思う。
 何かが少しでも崩れると、途端に生死へと考えが転向する。これが私の本質だと言われた。対し、私はこう返したのだ。
「大学でそう言った本を読んでいたからかも知れませんね」
 例として、キルケゴールの『死に至る病』を挙げた。診察医は医者の為、当然に理系出身の人物だ。哲学をそう言った人物に噛み砕いて説明するのは難しい。
キルケゴールと言う哲学者が居て、その人は『死に至る病』と言う著作を出しています」
「その中で“死に至る病とは絶望の事である”と論じられています」
 診察医はこう私へと訊ねた。
「じゃあ、その絶望はどうしたら救われるとかは書いてあったかな」
 私は答える。
キルケゴールはクリスチャンなので、“キリストを信じれば救われる”と主張していました」
 診察医は考え込んで、言う。
「論が飛躍しているねえ。けれども、つまりは”万能“を信じれば救われると言う事なのかな」
 ノンクリスチャン神学生で、キリスト教哲学ばかり勉強していた私は、思わず手を打った。
「はい、そう言う事でしょう。私もキリストを信じている訳ではありませんが、万能は全ての救いになりますからね」
 医者も医療も万能では無い。それは人間によって作り出された資格と技術なのだから、不完全で当然だ。しかし、神的存在も同様のプロセスで出来ている。キルケゴールの論はここで破れてしまう。そう言えば西南学院大学在学時代、青野太潮教授が「逆説的キリスト教論」なるものを熱心に論じていた。掻い摘んで言えば、キリスト教の常識を逆方向から「それはどうなの」と攻めて明らかにする、と言う分析だ。私にもそれに近い思考方法が備わっているのかも知れない。


3

 

 話を戻すと、人間には万能を信じたくてもその対象、つまり万能存在は在り得ないと言うジレンマがあるのでは無いだろうか。私が考える『死に至る病』とは、このジレンマに因る苦しみだ。それが人間を死へと加速させる。これは病と言って良いだろう。
 しかし朝七時、寝起き状態でいきなりこう言った哲学を書きつける自分は、ある意味で凄いと思うが、如何だろうか。しかも右手に握るペンの動きは大変に滑らかだ。自律神経と精神は疲れ切っていても、思考体系は好調らしい。


小話

 

 今日は日曜日で、やっと実家の母親が入院預り金と正式な入院手続きを行いに、こちらへ来ると人伝に聞いた。今回の入院に対しての家族の反応は日を改めて書こうと思うが、このタイミングの外れ様と人伝に聞かされると言う対応から、実家の雰囲気が想像される。