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作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

「自閉空間」私がひきこもりから脱出した方法

大和柚希がひきこもりから脱出した公式=焦燥+憤怒+協力

 

 現在、私は絶賛的に障害者として生きている。とても職とは呼べない福祉的就労にて、障害年金をアラサー女子ながらも受給し、生き辛き世界での生活を耐え続けるのだ。何でもつい先日、「プロ障害者」と言う言語が世にて議論を呼んだそうだが、障害者をプロとアマチュアに分けるのは、完全に当方を蔑視した結果だろう。障害者にプロが居ると発言する者よ、私も含まれるアマチュア層は更なる生き辛さを押し付けられる実際に気付いていないのか。

 

プロ≠名人


 「プロ障害者」と言う言葉を見た瞬間、私は「ひきこもり名人」の勝山実さんを思い出した。彼はプロでは無く、「名人」と自称しているので大変に慎みが深い人物だろう。「プロ」とは金銭を貰って何かを行う存在で、「名人」は単純なる肩書の為だからだ。しかもこれへと「ひきこもり」と言う、一見ネガティヴな言語を付ける辺りが潔い。
 この勝山実さんの著書について、実際にひきこもりだった私が解説と感想を述べたいと思う。

 

ヘルター・スケルター

 

 紹介するのは、『ひきこもりカレンダー』と言う彼の著作だ。
 これは、正しく「ひきこもりのひきこもりによるひきこもりの為の」書だと思った高校生当時の私。立ち読みを実施した後、本屋の会計へと迷い無くそれを持って行った。
 今、裏表紙を開くと、私は第三刷発行の時点で購入している事になるのだが、それは二〇〇一年だった。これは統合失調症を発症し、学校に行かなくなって自棄に塗れた生活を始めた時期と見事に重なる。
 あくまで推測だが、高校生で金銭を碌に持たない自分が、ハードカバーのこの本を自腹で買った、それは相応にひきこもり文化と社会的孤立について関心を持っていたからでは無いだろうか。
 その中の勝山さんの文章には、絶望とユーモアが混じり合う。

※本文より抜粋
不登校だの登校拒否だの大騒ぎしているのは、本人ではなく周りです。
本人不在の大騒ぎです」(36ページ)
「みなさんも自分が住むのに支障が出ない程度に家を破壊して、ストレスを発散させましょう。ひきこもりの登竜門さ」(137ページ)
「親を殺すのは現実的な考えをする子供ではないでしょうか」(147ページ)

 

舐めると痛い味がする

 

 私は高校中退時に、精神科へと入院している。その間に、自室に残していた日記を親に読まれて捨てられた。そもそも入院自体が、彼等に騙される形にて実行されていたのだ。その上、部屋を家捜しされ、自分の本音なり暗部を勝手に見られて否定されてみよ。似た境遇を持つ人に、勝山さんの言葉は味わい深く染みるに違い無い。
 そしてこの本は、私が親を殺す代わりに、無言にて彼等を罵る結果を生み出した。
 家捜しを行った、イコール、この本も当然に親は読んでいたのだが、驚くべき事に「親が悪い、と書いてあったな」と彼等は言っただけで、廃棄を行わなかったのだ。私は親になるつもりが無い、少なくとも自分の親は完全なる反面教師として利用するつもりなので、その時の彼等の考えは推測するしか出来ない。
 出た結果は、と言うと。

「本に真実を言い当てられている」
「これを廃棄した場合、自分達の非を認める事になる」
「だから捨てるにも捨てられない」

 上記についての説明を行いたい。
 今までの文章を読まれた人は分かると思うが、駄目人間と自称する私でも見下す程に、私の親は人間が成っていない。この本にもある内容として、「子供をペットと同じに見ている」「相手の気持ちを考える能力が無い」存在、その好例が彼等だと私は見ていて思う。自分もそう言った能力に乏しいからこそ、書きたい放題に自分の主張を書きまくっているのだが、もうこれは大和家の発達障害的遺伝と言うべきだろうか。
 そう言った親は、自分達が気に入らないものならば、次々に事物を廃棄すると言う仮説が十分に成り立つ。その証拠が、私の日記を捨てた事になるだろう。しかし、勝山さんの本は捨てていなかった。
 これはどう言う事なのか。

 

大和家と言う戦場

 

 『ひきこもりカレンダー』には、こう言った対談が掲載されている。

※本文より抜粋
斎藤環「プライバシーが全然無いと、子供をかなり追い詰めることになってしまいますね」
勝山実「僕も試しに『明日の何時に親を殺す』と書いておいたことがあるんですよ。次の日、親が朝からおろおろしてた。その日、一日中優しかったですねぇ」(179ページ)

 もし私の親が状況と言語を解する能力があるのならば、分かるだろう。「自分達も殺される可能性が十分にある」事を。
 私は武士の情けを求められ、命乞いをも行われたのではないか。
 実家と言う名の戦場にて、病院に送られるまでに負傷し、独居を叶えて脱出しても未だに立ち直られていない自分。今でこそ親は私へと親切を見せるが、それは基本として金銭か文書の遣り取りで、愛情と言うよりも援助を受けている感覚が残る。

 

ひきこもり+金銭=?

 

 私は、ひきこもりながら親との関係が悪くて悩む人へと提言したい。
 もし現在、その親から扶養されているのならば、遣われている金銭は自らの独り立ちに遣うのも現実的だし、生き易くなる可能性を孕む。最悪の場合は、一人暮らしを行いながらひきこもって休めば良い。私の場合、食事すらも作って貰えない時代を過ごして来たので、生存上で最低限の能力が「ひきこもり」と言う孤島生活の中で身に付いていた。
 更に「職とは呼べない」とは言っていたものの、福祉的就労は精神科の助けを求めれば、意外と叶う。これは単純に、実際が世に知られていないだけの問題では無いだろうか。この現場の求人は往々に存在しているのだ。
「ひきこもりはお金で変わる」
 それが勝山さんの主張だが、これは当たりだろう。そもそも自死せずに一人で居る時点で、ひきこもりは強いのだ。
 明日から私は、再びその福祉的就労に従事しなければならない。

 

『ひきこもりカレンダー』

  • 著者:勝山実
  • 発行:文春ネスコ
  • 発売:文藝春秋
  • 二〇〇一年初版発行

お題「好きな作家」