SPARKILLING

作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

「エイトビートの会話が普通」で「AとBとの会話が不通」

 以前、精神科病棟入院同期生、B君と交わした会話。
B「大和さんは話が分からない」
私「え、それは私が、それともB君が分からないの」
B 「大和さんの話が飛び過ぎていて、自分が付いて行けない」
私「へえ」
B 「今の反応もそうだと思う、飛んでいる」

 

ひきこもり哲学出自者


 私は人から大別して、二つの反応を受けます。

「ノリとテンポが良い」「頭の回転が速い」
「言っている意味が分からない」「話に付いて行けない」

 私はこれらに対し、どう言った感想を持っているのか。

前者へ「そうですかね」
後者へ「そうでしょうか」

 似たり寄ったりの内容ですが、少なくとも「自分について分かっていない」と言う事は自覚が出来ます。十年に近い過去のひきこもり時代に於いて、自分に対し、嫌と言う程に向かう機会があった筈なのです。哲学が出自だった私は一体、何をしていたのでしょう。本当に無為な時間を過ごしてしまったと悔やむばかりです。

 

青木さやかさんの論

 

 「分かる」「分からない」と、相反する事を私は言われていますが、何もこれらは同一人物が発言している訳ではありません。人によって大変に話が通じる相手と、そうでない相手が分かれてしまうのです。
 青木さやかさんと言うタレントさんは昔、こう言っていました。

 自分は物凄く難しい本を大量に読んで、そう言った話を聞かせてくれる男性と付き合った事がある。しかし理解が出来ずに別れた。今はこう思う。
「本当に頭の良い奴は人に通じない話なんてしないんだよ!」

 青木さんの主張は正しいと思います。話と言うものは、出力して相手に通じないと意味が無いからです。私の場合は通じる人と通じない人が、三割と七割の比率で存在します。ですから、入力は出来ていても、出力が上手く出来ていないと言う論が立てられるのです。

 

開閉

 

 発達障害者には「話の内容が飛ぶ」、統合失調症者には「閃くけれども支離滅裂に話す」と言う指摘が見受けられます。恐らくですが、私はこれらの長所と欠点について、当てられる焦点が人によって違っているのでは無いでしょうか。
 例えば、Aは「閃きがあって進んでいく話が面白い」、Bは「次々と内容を言われ、しかも説明不足で困る」といった具合に。そう考えると、相手によって反応が極端に違ってしまうのは頷けます。
 けれども本人は、慣れているとは言え、指摘をされると話をする気が無くなります。自信も同時に消えて行くので、元々が自閉傾向のある私にとって、懸命にしている行動を否定されると大変に傷つくのです。
 「理路整然と話したい」「分かり易い言い方をしたい」と言う願いの元に、予め話す内容や順番を考えてみます。しかしそれは、次々と産生される頭の中の閃きによって混乱し、逆効果を生み出すのです。その為、人からはこうも言われます。
「何も考えずに思った事を言っているのでは」

 

伝達の三要素とは何か

 

 友人に困惑している私の姿を、「コミュニケーションギャップ」と評されました。本人は分かっているのに、言い方が成っていない為に誤解を受ける。更にその逆の例も見られるけれども、それは「伝達技術」が決定的に不足しているからでは無いか、と。
 このまま行くと、私は無言の存在に向かって意見を書き殴る人間として収束し、生を終えそうです。そう言う事態は避けたい。
 現在、「上手い聞き方、話し方の技術」を分析した本を読んで、対策を取りつつあります。加え、施設とは言え、一般客を相手に接客を行い、工賃を得る私はその位の努力をするべきなのです。
 発展途上ですが、体得した伝達技術の要素を連ねます。

大和柚希の考える伝達の三要素
(1)平易な言葉を遣う
(2)短文の連なりを意識して話す
(3)矢継ぎ早に話すより、落ち着いて言葉を選べ

 但し、これらは「会話上」の伝達に限るのです。文章では、難解な文章を悉く書き連ねても、「おお、こいつ凄い」と凡庸に評価されるので、その意地は持ちたい。