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作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

「被虐の家」身体改造当事者の弁明

 私、大和柚希の両耳には併せて十個のピアスホールが存在します。加え、耳縁は欠け、凹んだ部分も存在するのです。
 何をやらかしたのか?
 ピアスを使った、身体改造を行ったのです。

 

この耳には何も


 最盛期には十三個のホールが開いていましたが、内二個は耳の皮膚が壊死して崩れ、一個は軟骨に開けていた為に治り、閉じました。非常に残念です。
 私の耳の形状を見た人は、先ず、これが身体改造の結果だと気付きません。何しろ、以前の自分は重度の引きこもり。当時の私の様相を知る人は、皆無に近いのです。加えて、私は一見した人からは「清楚」「大人しそう」「優しい」と言った見当外れの感想を頂きます。何を思って皆がこう評するのかは不明です。けれども、全く持って違うのです。身体改造に走る者が、果たして清楚で大人しくて優しいのでしょうか。

 

当たり前にすれ違った

 

 何故、私は耳を改造したのか。これは起因として、金原ひとみさんの著作『蛇にピアス』が大きく影響しています。

 蛇にピアス金原ひとみ
 ピアスで穴を開け、拡張していく過程で舌を二股に割こうとする若者。彼等の絶望と死、再生を描いた物語であり、芥川賞受賞作品。

 私はこの作品を、芥川賞を受賞した当時に読みました。衝撃、と言うよりも、共感を抱いたのが実際です。作中の主人公のルイが、アルバイトの場面に於ける作り物の自分と、身体改造へと走り続ける本当の自分を使い分ける姿。彼女の同棲相手のアマが、ルイを愛しながらも残忍さを棄てられない葛藤。更に、ルイとアマに関係するシバが神として物語に君臨する構図。
 当時の私は大学生で、学校では偽物の笑顔、荒れた実家生活では心を閉ざした行動を取っていました。心を閉ざすと当然ながらも溜まるフラストレーションを、何かで晴らしたい願い。更に私は神学生だったのです。『蛇にピアス』が私の状況にどれだけ合致したかは、想像に難くないと思います。
 私は手始めに、ピアスホールを開け続けました。ピアッサーを使い、自らの手で一気に五個。痛みは感じず、充足感のみが残りました。これで私もルイやアマ、シバの世界へ近付けたのだと。「私はお前達とは違う。近付くな」と言うメッセージを身体から発していると実感したのです。
 お前、と言う相手は多く居ました。今もそうですが、基本的に私は周りを敵視しています。そうで無いと、笑顔を作って振り撒くと言う面倒はしません。しかし、反面で『蛇にピアス』の登場人物の如く、自分とよく似た人々には強烈に魅かれもします。そう言った対象には心を開くのですが、完全に可能か、と問われると無理なのです。
 特に敵視したのは、これまで散々に書いている通り、実家の家族でした。精神科医から今でも、「大変に関係が悪い」と評される始末です。そして今は最早、連絡すら交わしていない関係を清々しく私は思います。一生そうしてくれ、とも願うのです。寧ろ、縁を切りたい程に。
 周りは「家族と仲直りしなよ」と言いますが、私はそれが大変に気持ち悪いです。忠告される意味と、必要性の理解に苦しみます。やはりここでも「私はお前達とは違う。近付くな」が心に生まれるのです。

 

いつも通り閉ざし切った

 

 身体改造を行った私に、周りは何も反応を返しませんでした。気付いているけれども、話に触れたくない、と言った感じでしょうか。センシティヴな問題もありますから、当然の行動だったかも知れません。それに私自身も、他者を拒絶する目的で改造を行っていた為、それで良かったのです。但し、ここまで自分は周りから放っておかれる矮小な存在なのか、と思うと、それはそれで悲しくも思いました。

 

今何て云ったんだ

 

 現在も私の耳は形が歪なままです。それは自分の心の様相を呈しています。両者とも揃って一生に亘り、治りそうもありません。せめて人生はマシにしようと思いながら、私は生活を送っています。身体改造を行った事実を悔やんだり、消したいとは思ったりはしません。これは社会的にスティグマとも成り得ますけれども、私にとっては名誉の称号にも値するのです。
 「自分はここまで出来る。軽々しく見るな」と言う。