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作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

「背に腹は代えられぬ」ー障害者手帳を巡る割引闘争記

 発達障害者も精神障害者手帳の所持が可能となりました。私は発達障害精神障害当事者です。従って、当然に障害者手帳を持っているのです。
 今回、その手帳を巡った、ある交通会社との闘争を記録します。

 

精神障害者手帳は使えるのか


 等級二級以下の精神障害者手帳は、ほぼ役に立たない。個人的にそう思います。私は障害者雇用枠に応募する際に必要な為、二級の手帳を取得しました。目的はそれだけ。事前から、「精神障害者手帳は使えない」「どうにかしろ」と言う所有当事者の声を知っていました。だから私は半ば、スティグマも同時に取得する覚悟にて、手帳を申請したのです。
 スティグマ。それは「差別の烙印」の意味。自分にとって精神障害者手帳は、「私は普通と違います」と周りに証明してしまう対象に見えます。実際に手帳を持っている事を公表したがる人は、私の周りに皆無です。皆も同じく、スティグマを感じている様子でした。
 しかし、私の居住する地域へと、スティグマに光が差し込む機会が来たのです。今まで、対象とされていなかったこの種類の手帳保持者を、ある交通会社が運賃割引対象へと認可しました。
 喜び勇んで、私はその会社のサービスを使った、訳ではありません。「自分は手帳を持っている」と証明するには、当然に現物を他者へと見せる必要があるからです。実際にバスへと乗った際、運転手へと私は手帳を見せました。大変に周りの目が気になりながら。
 すると、こう言った言葉が返って来たのです。
「手帳に写真が付いていない。本人確認が出来ないので割引は不可」
 私の手帳は、写真を張り付けていないものでした。

 

闘争と反論


 精神・発達障害者の生きた声として、自分がこの様な障害なり病気なりを持っていると見做されたくない、と言うものがあります。それを受け、私が申請した時は精神障害者手帳に限り、写真が無くても作成を公に認められていたのです。
 けれども、他人からするとこう見える事もあるようです。
「ええ!?見た感じ普通じゃねえか!障害者って本当かよ」
 恐らくは、そう言った事情もあって、バスの運転手は割引不可を通達したのでは無いでしょうか。
 私はバス内で反論を試みました。
「精神は写真が無くても手帳が作られるのですが」
 相手は頑として言います。
「困りますね」
 それは当方も同じです。他の乗客は無言にてこの遣り取りを見ています。私にとって「自分は頭の中が変わっている」と公表したのと同然の状況。障害を恥じて写真を付けなかった事が、逆に自分の障害を広める効果を生み出したのです。
 運転手は言いました。
「次から写真の付いた手帳を出して下さい」
 きっと事情を知らない人なのでしょう。障害者手帳は申請と認可、発行に手間と時間が掛かります。次から、と言われてもバスか割引制度の利用を我慢しない限り、それは間に合わない相談です。
 私は憤ってバスを降車し、交通会社の受付へと直行して事情を話しました。職員は私の手帳を見て、写真の欄に県の認印が押してあるのを確認し、
「申し訳ありませんでした。社内で連絡を致します」
と頭を深々と下げたのです。
 その後、同じ会社の電車へ乗ると、こちらでは気持ち良く対応をされました。
 しかし、闘争は再び勃発。

 

私こそ困ります

 

 次の機会、またもバス車内にて同じ事件が起きました。私は再びスティグマを振りかざす結果に。生き辛さを実感する瞬間です。
「職員さんに確認を取りましたが」
と自動車運転免許証まで見せて、何とか事は収まりました。しかし自分の心内では、「何が分かんねや」と不満が競り上がる一方。
 ここまでの思いをして、何故に私は割引制度に拘るのか。それは障害者の雇用体系に理由があります。
 特に精神・発達障害者は、雇用がされ難いと言う現実を、皆さんはご存知でしょうか。障害者雇用、と一概に言っても、主な対象は身体障害者に絞られている事が多いのです。
 これはあくまで私の主観ですが、精神・発達は確かに外見が「普通」に見える人が存在します。そうした内外の溝に苦しむ事も、病状を悪化させる一因となっているのに。
「この人はどうしてこれ程までに簡単な事も出来ないのだろう」
と言う疑問的な見方が、私達を少なからず困惑させているのです。
 それが仕事面となると、雇用がされ難い結果に繋がるのでは無いでしょうか。

 

精神・発達障害者の現実とは

 

 雇用がされない、それは低収入とほぼ同義。私もその例に漏れません。ですから、反論やスティグマを顧みず、割引を求めて再度、手帳を提示しました。周りの仲間もよく口にしますが、「背に腹は代えられない」のです。
 更に「何が分かんねや」は続きました。同じ事は三度目も起きたのです。
 先方は言います。
「またあなたですか。会社に確認しましたが、写真が無いと駄目だそうです」
 私は負けるか、と思い、返しました。
「当方も職員さんに確認を取りましたが」
 応酬は続きます。
「とにかく駄目、と言う事で」
 私は色々な皮肉を込めてこう言い、降車しました。
「申し訳ありませんでしたね」
 そして職員の元へと直行し、一度目と全く同じ内容を話しました。すると、先方もまた、一度目と全く同じ反応を示したのです。
 その後の同社を利用した電車移動にて、こう言った事件は一切に起こりませんでした。私の心内で、「何が分かんねや」が膨れ上がる一方で。
 私個人が直ぐに対策として講じられるのは、割引を諦める、又は障害者専用のパスカードを作る事です。けれども、前者は余りに悔しい選択ですし、後者は有効期限や再申請などと言った更なる厄介が絡んで来ます。加えて、同じ会社の電車部内では対応がきちんと出来ていたのです。

 

助けるのかそうで無いのかはっきりしろ

 

 これらの事実から私が見た事は、「何が分かんねや」と思う障害者の世界に、「よく分からない」健常者が接する現実でした。
 先方の言い分も理解出来るのです。本当かよ、と疑いたくなるのは、写真を付けていないならば当然に起こり得る事態です。けれども、三度も手間と疑惑を掛けられた当方は、どうすれば気が晴れるのでしょう。
 私は不満です。

 仏の顔も三度まで、と言います。四度目に遭遇した場合の憤怒の具合を想定し、闘争を記録しました。
 生き辛さと事情を分かって欲しいと思います。