SPARKILLING

作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

「被虐の家」アウトサイダー・リビング・ブラインドネス

A「柚希さんはやっと実家の呪縛から逃れられたのだから」
B「そう、これからだよ」
C「まだ若いのだから、どうにでもなる」

それぞれに対して、私はこう言いたい。

Aへ「実家のフラッシュバックが未だに起こります」
Bへ「今までの人生と生活は棄てるしかありませんか」
Cへ「どうにでもならない現実をどうにも出来ない」

 

ああ、こう、そう


 私にはA、B、C、全てに突っ掛かりたい気持ちが、いつも何処かにあります。自分を励まそうとして言って貰っているのは承知です。それでも「この人達も他人だ」と諦観してしまいます。
 ああ言えばこう言う。そう言った表現がありますが、私は正しくそれに該当するでしょう。三者は良かれと思って発言するのに、当方はどうしてもそれを受け入れられません。
 更に、前出の発言を私の中で展開させると、こうなります。

Aへ「フラッシュバックは治らないので、一生の間、呪縛が付いて回る」
Bへ「人生の半分を棒に振った計算になりそうです」
Cへ「私は生きて、あとせいぜい三年でしょう」

 人生が暗い。しかし自分にとって、これは受け入れるべき現実です。誰も信じられず、働く場は施設の支援にて、障害年金に頼り、コミュニケーションギャップに悩み、被害妄想と悪夢とフラッシュバックに困惑する。自分を完全に持て余した生活です。

 

就労支援事業は無意味か

 

 つい先日、私は又もや企業の採用選考に落ちました。書類だけで他人の熱意を処遇してしまうのは、如何なものでしょう。常に私はそう考えるのですが、先方は相手の一人一人にそう言った時間と情けを掛けられるまでに、余裕が無い事も分かります。
 ただ、言いたいのは、発達障害専門の就労支援会社が、その被支援当事者、且つ選考応募者へとメール一通にて通知した実際へと面食らった事です。要約すると、自分へと不採用通知が一通のメールで来た、と言う実際なのですが、先方は就労支援事業を行っています。当方の収入がどれだけ低いのか、そして発達障害当事者と言う自己申告から、生き難さをどれ程感じているのかを分かっても良いと思うのです。別問題として、不採用に処されるのは、自分に何も無いからだと分かっています。
 私は叫びたい。せめて書類の送料と経費を返せ!「あなた様のご活躍をお祈り致します」なんて余計な祈念文章は要らないんだよ!

 
メンタル弱者は我々全員でない

 

 いつか何処かで「採用側が最も嫌うのはメンタルの弱さだ」との発言を目にしました。その路線から行くと、精神障害者発達障害者が雇用され難い現状が説明可能です。実際に私の通う施設でも、少しきつい事があっただけで欠勤する利用者は多く居ます。果ては入院まで行き着く人も現れるのです。
 彼等には彼等の考えや、感じ方があるのでしょう。私がそれをとやかく言う事は出来ません。しかし以下の会話を聞いた時は、流石に自分の感情は怒りへと傾きました。

利用者「もう入院してここを辞めます、生活保護があるから」
施設長「そんなことを言わないでくださいよ」

 この利用者は成人男性です。確かに障害を持って生きる辛さは私にも分かるので、逃げたくもなるでしょう。けれども、入院と生活保護は逃避の為にあるのではありません。弱者を救う為の制度です。だから周りの人間までもが弱いと画一的に見られるのでは、と私は冷ややかに彼を見ていました。施設長も必死で利用者の支援を行っているのに、これでは余りに気の毒です。

 

月収十二万前後、賞与一切無生活

 

 かく言う私も、居住する市にてこう言ったパンフレットを渡されました。

「生活が苦しい人へ向けた制度があります」

 私の収入面について書きましょう。障害年金と施設で支給される工賃を合わせて、生きています。月に十二万を切る、切らない経済収入は恐らく、生活保護を受けている既出の利用者と大差がありません。
「俺、飲み水とか金を出して買わねぇから!」
 こう言った台詞がいつか、テレビにて爆笑を買っていましたが、実のところ洒落にならない内容です。水や茶などのペットボトル飲料は、非常時の為の備品だと私は認識しています。普段は蛇口を捻って出て来たものを飲め!茶ならば自分で淹れて冷やせ!そう言いたいです。因みに、私は最早、テレビすら所有していない生活を送っています。どう見てもあれは、時間と金銭の無駄にしか捉えられないのが個人的な感想です。
 一方、私自身も変わったもので、実は生活と施設への通所の為に、任意保険付きの軽自動車を所有しています。今年は車検が迫っている為に、年金と工賃の余りを寄せ集めて代金に充てなければなりません。車は実家に居た時代、つまりひきこもり時代に無為な生活で貯まった金銭で買いました。人は「その収入で車を持っているの」と驚きますが、それこそ水とか茶を金まで出して買わない生活、を実践した為に達成される所有体系なのです。
 そこまで意地を通して、私は生きています。
 なのに、世間一般の見方は「弱いメンタルは嫌」と来る。

 

弱いのはお前だろうが

 

 宣言しますが、精神障害者発達障害者を舐めないで貰いたい。私達の雇用を避ける企業は真の障害者雇用を達成していません。こう言った会社は法定障害者雇用率に届いていないと見做し、罰金を取って良いと思います。更にその金は私達へと分配せよ。
 考えてみると、法定雇用率が達成されなかった場合に徴収されると言う罰金は、果たして誰の懐に収まっているのか疑問です。それこそ福祉へと充てられているのでしょうか。仮に役人が潤っている場合は、そいつからも金を毟り取れば良いと思います。

 因みに、私の知り合いだった地方公務員の収入、つまり国民から徴収された金銭の使い道は、博多の中州と言う繁華街で女性を買う事でした。こいつは個人的にいつか、生まれなければ良かったと実感させる目に、己の手で遭わせたいです。
 同じ事は私の実家にも言えます。私は両親に対して「辛い思いをさせて済まなかった」と認めて貰いたい、以前にそう書いた事があるのですが、やはりその程度で当方の怒りは収まりません。たまに「応援している」と言う綺麗事に付随して口座に振り込みがありますが、何をどう応援して私に求めているのかが、分からない。しかも認めるどころか現在は、彼等は無視と黙秘状態を貫いています。

 彼等が潰した娘の人生を、娘が必死で立て直そうとしている。
 それを彼等が応援する。

 訳が分からない構図です。

 前出のA、B、Cに「応援している」と言われると、私は納得します。それは彼等が皆、一定の線を介して立っている為に、です。三者ともに加害者でも部外者でもありませんから。
 私は人間関係も、経済生活も、自分自身も、全て損得勘定を前提として考えます。だから愛情が一向に理解が出来ない状態なのかも知れません。世の中ではそう言った人間も、必死で生きているのです。

 私は「メンタルが弱い」と言う当方への穿った見方を、絶対否定します。