SPARKILLING

作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

第一談 同級生「消えればいいのに」ー(3)メンタルクリニックの和訳形

ー先に出て来た、精神科には自分から行ったのですか。
 いいえ。高校一年生の時に、母親から「病院に行こう」と言われて連れられた先が、精神科でした。
ーその時、あなたはどう言った気持ちでしたか。
 「来るものが来た」です。やはり私は自他共に認めるゴミなのだ、と。
ーでは、精神科へ行く予想なり、予感は持っていたのですね。
 はい。私が手首を切っているのを、高校の教師が見兼ねていましたから、当然です。こう言う対応だけは迅速な福岡県立伝習館高校。

 ー親御さんは精神科へ行く、とは明言されなかったのですか。
 はい。私が嫌がると思ったのでしょう。当人にすれば、勘付いていた事なのに。
ー精神科への偏見が透けて見えます。
 私も親もそうでした。今は親がそれを死守しています。弟が持っていたのは偏見と言うより、恐怖感情に近かったのではと思います。
ーでも、今のあなたは違うのですね。
 精神科の存在は最早、自分の生活空間であり、守備範囲ですから。本当は頼らないで生きたい側面もありますが。
ー最初に受けた精神科の診察、カウンセリングはどうでしたか。
 結局のところ、こう言われました。「あなたは考えが堂々巡りしているだけ」。その割に、処方された薬はデパス。カウンセリングと言うよりは、断定されただけの印象がありました。最近に知った噂によると、ここの病院は継続して藪だそうです。通っていても全く快方に向かわない。処方だけが変化して増大する、と言う。
ーかなり変に聞こえますが、何処の病院でしょうか。
 実名を出すと、確実にそこは潰れるでしょう。こちらが訴えられた場合を考えると、逆に恐ろしくて言えません。更なる逆を言うと、相当に駄目な医師の経営する病院です。福岡県大川市にあるメンタルクリニック、とだけ言いましょうか。
メンタルクリニック
 その病院を見て高校の同級生はこう言いました。「メンタルクリニックって、精神病院だよね、怖い」。それに私はこう返しました。「私はあそこに通っているんだ。怖くてごめんね」。それから高校内にて、自分が加速度的に孤立して行った。
ーあなたは手首を切っていた状態ですから、当然と言えば、当然の状況です。
 本人は必死でした。心の中は自棄が三分の一、怒りが三分の一、絶望が三分の一。そう言った心境で前の発言をしました。「私は怖い人間だから近付くな」「お前に何が分かる」「やはり自分は怖く見られてしまうのか」、と。
ー現在のあなたと通じるものがありそうです。
 はい。自棄を起こすのは変わりません。
ーそれは利他的、それとも利己的に行っているのですか。
 どちらでもありません。自己防衛が目的ならば、明らかに後者だと思いますが。けれども、私は自分がどうでも良いですから。
ーけれども、あなたは満たされない思いを持っているのでしょう。
 良く言えば、「まだまだ」。悪く言えば、「ふざけるな」。現実や社会に対して、言いたい事があるから生きて居るだけです。不満足はその上にあります。
ーそれだけ自己を客観視しながら、どうして自棄になってしまうのでしょうか。
 客観すると、如何に自分が駄目かとか、絶望的なのかがよく分かりますから。現在の私は行き場を持っていない事も、分かっています。
メンタルクリニックで、以後の診察はどう進みましたか。
 私の病状は悪化の一途を辿りました。地獄に墜ちて行く感じです。処方も増える一方。デパスソラナックスレキソタン、等々。一通りの抗不安剤は呑みました。
ーそこの医師はどう言った人でしたか。
 この人は本当に精神科医なのだろうか、と素朴な疑問を抱かせる人。中年の女性なのですが、本当に人を治す気があるのか分からない位に、やる気が無かった。
ー何故、あなたはそこから転院しなかったのですか。
 他の世界を知らなかったからです。そもそも私の住んでいた場所は田舎で、精神科自体がありませんでした。無理をしてでも、この時点で移るべきだったと今は思います。
ーあなたにとっては、その医者もクリニックも、本当に藪だったのですね。
 はい、断言します。
不登校になって以後、高校生活に戻ろうと思いませんでしたか。
 戻りたいけれども、出来なかった。幾ら望んでも、精神と身体が付いて行かない状態。
ー精神状態は話が出ましたが、身体面でも何かありましたか。
 はい。階段を上がるだけで眩暈と吐気がしました。倒れる事も、度々。高校に通っていた頃の体育は見学していました。体育祭に至っては、準備運動から戦線離脱完了。蚊帳の外に居ましたね。
ー高校時代のあなたの姿が、抽象的に見て取られます。
 はい。見学に戦線離脱、蚊帳の外、眺める。これらの単語は正しく私を表現しています。
ー何か学校で楽しかったり、嬉しかったりした事は、当時ありませんでしたか。
 何もありませんでした。
ーでは、どうしてその高校を選んだのですか。
 学区内で自分の偏差値に見合った高校だったからです。金銭面を考えて、県立高校を選んだ理由もあります。
ーあなたの過去は不登校生なのに、内申点は入試の際、大丈夫だったのでしょうか。
 これは中学でいじめが酷かった時に戻るのですが、学校を休み続けたのは一週間程度でした。だから大した影響は無かったと思います。その後、すぐに進級してクラス替えがありましたし。学校の操作によって私といじめの中心人物は離れました。あと、私は生徒会役員と学級委員も務めましたから、実績が出来た訳です。
ー役職は自分で志願したのですか。
 いいえ。周りがやりたがらないので、面倒の押し付け合い。行き着いた先が私だっただけです。
ー周りはいじめる上に、やる事が無茶苦茶ですね。
 無理な注文ですけれども、もっと自分を労わってくれ、と私は言いたかった。多分、押し付けもいじめの一環だったのでしょうけれども。
ーどう言う事ですか。
 毒を食らえば皿まで、を無理にさせられた。元々、いじめと言う毒を食らっているのに、面倒と言う皿まで食らわされたのですよ。
ーけれども、それが功を奏して、高校に合格したのですよね。
 推薦入試で不合格を貰った後でしたが、一般入試の試験内容は余裕で解けました。それを踏まえると、内申点自体は良くなかったのだと思います。
ー試験の結果重視で通った、と言う事でしょうか。
 そうだと思います。他に受けた私学は難無く合格しましたし。
ー話を聞いていると、あなたは勉強が出来ても、中身が貧困と言う印象を抱きます。
 言い得て妙です。私から成績を除くと、他に何も残らなかった。家族も、友人も、自分自身も。何をしたところで上手く行かない。胸を張って誇れるものが欲しかった。