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作家志望の発達障害/統合失調症者が展開する文章世界!

統合失調症の激化が悪夢で抑えられた記録

 他者から同情的に見られてしまいますが、私は人生の半分を病人として生きています。最早、アイデンティティの大抵が病気で成立している、と言うべきです。
 そう言う自分は、先日、主治医にこう言われました。
「あなたの様な病気の患者さんの多くは、『自分は何も出来ない』と諦めがち」
 病気、とは精神疾患の事なのです。

 

私は統合失調症十五年生

 自分は複数の精神科病院を渡り歩いた、精神医療界の猛者です。結局は、担当された医師の全員に、統合失調症との診断を受けています。判断について、当方が不平不満を述べる意向はありません。述べるとしたら、統合失調症に罹るまでの経緯について言いたいです。
 私の成育歴は、他者からすると苛酷だとの事。高校を中退して大検を取り、大学に行ったと言う経歴を指しているのかと思ったら、違いました。それに対する家族の反応がおかしい様です。とにかく大和さんの家族がおかしい、と言われます。
 反応についてですが、私はこう言う風体ながらも、西南学院大学の神学部を首席で卒業しています。それに対し、両親の反応はこうでした。
「へえ、良かったね」
 薄い反応を、私は何とも捉え様がありません。何故ならば、大和家の他の家族は全員、偏差値が上に振り切れたエリートだからです。自分が如何に落ち零れているかと言う事実は、当時から嫌でも認識していました。
 しかし、私が閉口させられたのは、祖母の何気が無い発言です。
「柚希ちゃんは、九州大学の薬学部に行けなかったのが本当に残念だった」
 お前は誰のどう言った経歴に対してものを言っている。私の何が分かるのか。私は酷く憤りました。高校中退の理由は、統合失調症に因る無気力、無関心と閉じ籠りで留年措置を取られた事です。その上で中退した後、独学にて大検と大学に合格し、更には学部首席で卒業まで果たしたのに。そう自分を俯瞰すると、私はやり切れない思いに襲われました。

 

死んだら何も出来ないが

 過去の自分の症状は、酷いものがありました。自力では真面な生活を送る事が出来なかった位に、です。一日を通じて寝たきりと言うスタイルは当然の事。食事は誰も作らないので、乾物や菓子と言った備品を漁りました。それが尽きると、何も食べなくて良いや、このまま餓死出来ないかな、と自分の中で考えが移ります。
 何も出来ずに、死を待っている。私はそう言った日々を、大学卒業後の七年間、居場所を見つけられないままで送りました。
 現在の自分は、実家から離れて一人暮らしています。症状は二進一退、と言った所でしょうか。少しずつ前進し、今では一般就職活動を行うまでになりました。
 しかし、大きな壁が立ちはだかっているのも現実です。
 先ず、統合失調症の他に、発達障害と診断を受けました。そして、高校中退と障害、病気の事実が大きいのか、障害を公示しなければならない障害者雇用でも、不採用を食らい続けています。更に、大学卒業前の就活から現在に至るまで、私は一度も採用選考の進んだ事がありません。学生時代はまだしも、今は就労支援と言う場にて、元気に勤務しているのに。更には支援を卒業する許可も出ています。
 私は現況が疑問で、不満なのです。
 それが体調に現れました。

 

実家は破壊する為にあるのか

 私はここ一週間ばかり、睡眠が一日に三、四時間しか摂られていない生活を送っていたのです。眠りたくても、目が覚めます。しかも世間は大型連休。通所する支援所は一般客向けの飲食店で、そこにて接客をしている私。
 睡眠不足と疲労、更には自分の中の疑問や不満が一気に圧し掛かりました。
 考えが急にまとまらなくなり、息切れが起こり、強い頭痛に襲われる。この状態は実家で耐えていた頃のものだ、と自分で察知しました。しかし、病院は休診しています。そもそも、私は外出すら難しい状態だったのです。
 とにかく休もう。そう思い、私は無理に眠りました。
 実家が夢に出て来ます。両親、そして姿は見えませんが、学生時代から目にしていない弟、が居間で話し込んでいる様子が伺えました。咄嗟に私が思った事は、こうです。
「地獄に戻ってしまった」
 そこからの脱出を試みようとする私に、父親が突如、立ちはだかり、言いました。
「あいつは結婚する事になった」
 あいつ、とは弟の事です。私には関係の無い相手なので、弟はどうでも良いのです。けれども父親は、続けざまに私に対して罵声を浴びせました。
「お前もいい加減に就職はしろ」
「何をしている」
「あいつを少しは見習え」
 私は反射的に、父親がよく空けていた酒瓶を足元から取り、彼へと振り下ろしました。

 その後、自室に隔離され、鍵の掛かった扉を殴りながら、私は喚き狂ったのです。
「私がおかしいのか!」
「こっちは必死なんだよ!」
「人の気持ちを考えろ!」
 しかし、父親を酒瓶で半殺しにした自分が何をどう叫ぼうと、意味はありません。終には、眠りながらも現実世界でこう叫んでいたのです。
「この冷血人間!」

 

破壊と個人的再生

 目が覚めたのは、その瞬間でした。一人暮らしのアパートにて、汗を掻いた状態で。けれども、以前から抑え続けている、自分が実行したい事は行いました。言いたい事も言ったのです。あくまでそれは夢の中での行動だったのですが、気分が現実でも随分と軽くなっている事に気付きました。頭痛や息切れも和らぎ、今ではこうして記録文書を書けるまでに落ち着いています。
 具合が悪くなると、私は実家に関連した悪夢を見るのです。それは恐怖体験であり、破壊衝動であり、再生模索の側面があります。
「柚希さんは家族と仲直りしなよ」
 周りはそう、盛んに勧めてきます。私はそれを頑として受け付けません。そうしたいと自分で思わないですし、こう言う悪夢を見る人間が出来るとも思えないからです。
 果たして、この思いを否定する根拠はあるのでしょうか。世間には「家族は仲が良くなければならない」と言う観念が蔓延している様に見えて、私は気持ちが悪いです。物事には必ず例外があります。しかし、自分がそれに該当するとは思いません。
 人生には上手く行かない事が、断然に多いのでは無いでしょうか。それを埋める努力をする存在が多いからこそ、社会が抑圧的なのだと考えます。
 

 私の統合失調症は、その抑圧が掛かった結果なのかも知れません。